jean's diary

筆者jean(ジャン)のやったこと、思ったことをそこはかとなく書き付くります。

「ASKA」さんのブログのコメント欄について。

こんにちは、jean(ジャン)です。

 

今朝、私のブログのアクセス数を見たのですが、昨日から今朝にかけて16人の方に目を通していただいたようです。誰にも見られることはないだろうと思っていましたが、【ASKA】と検索している人たちの何人かが訪ねてくれたのですね。ありがとうございます。

 

私のブログを読んで、何かありましたらなんなりとコメント欄にお書きください。

 

さて、今朝も「ASKA」さんが記事をUPされていましたね。(私がASKAに「」を付けているのは、ご本人である可能性とご本人でない可能性を差別化させるためです。)

ある散文詩でした。それを読んでもまだ疑心は拭えていません。ご本人だと確信出来るにはやっぱり、

「動かぬ証拠」

的なものが必要になってくるんでしょう。

ASKA」さんの記事へのコメントも増えてきました。ASKAさんだと信じて疑わない方、私のように、ご本人ではない可能性があると思っている方、積もり積もった愛を語る方、そして罵詈雑言を浴びせる方。

ASKA」さんも記事中で書いてある通り、色んな意見があっていいと思います。因みに私は、ご本人であるという確証も無いのに、怒りをぶつけたり思いの丈をぶつける事は今の時点では少々先走りすぎていると思っていますが、その辺の倫理観はちょっと置いておきます。

 

私もファンの1人ですから、あちらのコメント欄にコメントを残せば、もしかしたらご本人が見てくれるかもしれないという気持ちは凄くよく分かっているつもりです。それが応援の言葉であろうと、叱咤であろうとも。だから色んなコメントがあっていいと思います。

 

ただ、1つだけ

「これは余りよろしくないな。」

というコメントを見ました。

 

名指しなどは控えます。

ただ私は言いたい。

 

 

叱咤と指図は違う!

 

 

ファンであれば褒めたいし、愛を伝えたいし、たまには叱りたいでしょう。

でも、ASKAさんの今日から先の人生を指図する権利は誰にもありません。

今まではミュージシャンをやっていましたが、色んなことがあって今はお休みしています。

家庭的にも社会的にも回復や取り戻しにはかなりの時間と労力を使うはずです。

裁判で判決を受けたこと、世間から好奇の目で見られていること、それが社会的制裁です。法治国家で生活する以上、彼はそれをきちんと終わらせなければならないんです。

最低限それを終わらせなければ禊を果たしたことにはなりません。

薬物からの離脱だってしなければいけないし、執行猶予だってまだあります。

 

それなのに、

「いつまで待たせるんだ」

「新曲を出して」

「歌手なんだから歌を歌え」

 

という人は私には少々傲慢に見えます。

 

もしかしたらこの禊の間に、歌の他にしたいことが出来るかもしれない。ペースを落として楽曲作りをしたいかもしれない。もう戻ってこないかもしれない。

 

そうであっても、彼を急かす権利は私たちはありません。

 

いつかまた彼が歌を作って世に出した時は、その曲を聴いて愛せばいいじゃあないですか。

 

昨日までのASKAさんに貰ったものがいっぱいあるのなら、その感謝で明日からのASKAさんを応援してほしいと私は思うのです。それがどんな彼であったとしても。